Composition展示構成

10分読み切り

ムンク展に行く前に
知っておくべきエドヴァルド・ムンクにまつわる9章

《太陽》(部分)1910-13年 油彩、カンヴァス 163.0x205.5cm

展示は9つの章に分かれており、いくつかのテーマを通してムンクの画業と生涯を画家の言葉とともに紹介していく構成です。

1
ムンクとは誰か?

私の芸術は、人生の不均衡を解明しようとする
思索から生まれた。何故、私は他の人と違うのか?
頼みもしないのに、なぜこの世に生を受けたのか?
この呪いと、それをめぐる思索が、私の芸術の礎となった
─ ノートより(年不詳)

ムンクは、家族の死を経て画家を目指した青年期から、第二次世界大戦中にひとり生涯を終えるまで、数多くの自画像を描いた。人生に暗い影が落ちるなかにあっても強い自尊心を感させる《地獄の自画像》や、飄々とした姿の老齢の自撮り写真─ 人生の節々にとらえられた多様なイメージは、今や世界中に知られる「叫び」の画家の人生と、その表現の神髄を感じさせる。

2
家族─ 死と喪失

1863年、軍医だった厳格な父クリスチャンと母ラウラの長男として誕生したムンク。5歳の時、母が5人の子どもを残して結核により死去、9年後には姉ソフィエも同じ病で失った。その死を思わせる一連の作品「病める子」は自然主義的な表現からの脱却をみせる初期の代表作となる。一方、因習の破棄や自由恋愛を標榜する故郷のボヘミアン・グループ、パリやベルリンで出会った世紀末を代表する作家たちの肖像も、画家ムンクが生きた時代を映し出す。

3
夏の夜 ─ 孤独と憂鬱

私は見えるものを描くのではない。
見たものを描くのだ
─ スケッチブックより(1927年)

ムンクは欧州各地で展覧会を開催し、次第に国際的な評価を築くなか、オスロ・フィヨルドをのぞむ故郷で夏を過ごす生活を続けた。《夏の夜、人魚》をはじめ、ノルウェーの短い夏の白夜、月光が映し出すフィヨルドが、原風景のように繰り返し作品に登場する。静かに寄せる波や湾曲した海岸線、海辺の丸岩、空の雲などの自然の風景が、物思いに耽る人物の孤独な感情と呼応するかのように描き出される。

4
魂の叫び ─ 不安と絶望

夕暮れに道を歩いていた ――
一方には町とフィヨルドが横たわっている
私は疲れていて気分が悪かった ――
立ちすくみフィヨルドを眺める ――
立ちすくみフィヨルドを眺める ――
太陽が沈んでいく ―― 雲が赤くなった
―― 血のように
私は自然をつらぬく叫びのようなものを感じた
―― 叫びを聞いたと思った
私はこの絵を描いた ―― 雲を本当の血のように描いた
―― 色彩が叫んでいた
この絵が〈生命のフリーズ〉の《叫び》となった

留学中に父をも亡くしたムンクは、パリやベルリンで新たな思想や芸術に刺激を受けながら、次第に象徴性を帯び、人間の内面が露にされたような独自の表現を確立した。90年代前半には《叫び》(オスロ国立美術館蔵)などの代表作も制作。
それらの異なる主題の中に、人間の不安や孤独と呼応するように空が紅く染まるフィヨルドの風景や、遠近法が強調された同様の構図などを、繰り返し登場させた。画家はやがて装飾的な意図をもった連作〈生命のフリーズ〉を構想。魂の叫びが共鳴するムンクの絵画は20世紀における表現主義の潮流の先駆けとなった。

5
接吻、吸血鬼、マドンナ

「接吻」、「吸血鬼」、「マドンナ」は「叫び」と同様、愛や死をテーマとする連作〈生命のフリーズ〉の中核を占めるモティーフである。1894年以降、版画にも取り組んだムンクは、パリやベルリンで多様な技法に精通し、膨大かつ傑出した作品を残した。新たな表現を探求しながら、時に過去に立ち返り自身の記憶を反芻するように、そして代表作を世間に広める一方、自身の手元に残しておくためにも、後年まで同じ主題に繰り返し取り組み、沢山のヴァリエーションを生んだ。

6
男と女 ─ 愛、嫉妬、別れ

読書する人や編み物する女のいる室内画を、
もう描いてはならない
呼吸し、感じ、苦悩し、愛する、
生き生きとした人間を描くのだ
─ ノートより(1929年)

ムンクは自由恋愛が叫ばれる時代のなか、初恋の相手の人妻ミリー・タウロヴ、ベルリン時代に仲間たちのミューズとなったダグニー・ユール、銃の暴発事件を起こした恋人トゥラ・ラーセンなど、女性たちとの愛憎を作品の重要なモティーフとした。代表作《生命のダンス》をはじめ、〈緑の部屋〉や、晩年アトリエで描いた〈芸術家とモデル〉の連作に至るまで、生涯にわたり愛を主題とした作品の制作を続けた。

7
肖像画

ムンクは初期から家族や身近な人たちの肖像画を手がけ、それをテーマとする展覧会をも開催した。パトロンたちによる肖像画の注文は、貧しい時代の画家の生活を支えた。恋人トゥラとの間で起こった銃の暴発事件以降、神経症とアルコール依存症に悩まされたムンクは、入院から回復へと至る過程で、医師《ダニエル・ヤコブソン》を威厳ある姿で描き出す。また、自身の芸術を支えた親しい友人たちの全身肖像画を描いて「守護者」と呼び、それらを大切に手元に置いた。

8
躍動する風景

勲章の授与や、個展の成功など、ムンクは40代で祖国での評価を確かなものとする。神経症の療養後は長い放浪生活を終えて故郷に帰還。ようやく手にした経済的な安定の末、自作を並べて制作に取り組める野外アトリエなどを整え、クリスチャニア大学講堂の壁画をはじめとする大規模なプロジェクトにも、意欲的に取り組んだ。偉大なる自然と人間の知性を主題としたこの大作をはじめ、祖国の自然をダイナミックに表現したモニュメンタルな風景画をこの頃に数多く描いている。

9
画家の晩年

自然とは、目に見えるものばかりでない
――瞳の奥に映しだされるイメージ
――魂の内なるイメージでもあるのだ
─ ノート・ヴァルネミュンデより(1907-08年)

国民的画家となったムンクは1916年にクリスチャニア郊外のエーケリーに家を購入。隠遁生活を送りつつ、旺盛な制作を続けた。ナチス・ドイツの台頭と共にドイツ国内のムンク作品は頽廃芸術として押収され、1940年にはノルウェーがナチスに占領される。
晩年は、鮮やかな色彩と軽いタッチによる平面的で明るい画面の作風を生み出し、《二人、孤独な人たち》など初期作品の再制作も続けた。画家が戦禍のなか1944年で亡くなるのは、80歳のことである。

我々は誕生の時に、すでに死を体験している
これから我々を待ち受けているのは、
人生のなかで最も奇妙な体験、
すなわち死と呼ばれる、
真の誕生である
―― 一体、何に生まれるというのか?
─ スケッチブックより(1927–34年)